瑠璃光寺五重塔 (7)

瑠璃光寺・瑠璃光寺五重塔

瑠璃光寺

瑠璃光寺は、陶弘房の菩提寺で、本尊は陶弘念持佛の薬師如来である。陶氏は大内家膝筆頭家老で、代々周防国の守護代をつとめた名門山口市の奥地仁保の地に創建されたものでです。
当寺は中国三山の一つと言われ、長門の大寧寺、周防の龍門寺と共に江戸末期、西日本の僧録司の責務を果たした名古殺で修行僧も沢山いた。
また代々名僧を輩出し、九州佐賀藩主の菩提寺高傳寺を初めとして県内外に三十余ヶ寺の末寺を有していた。
この地には大内義弘の菩提寺香珠久積寺があったが解体されて、萩に移ったため、その跡地に元禄三年瑠璃光寺が移り今日に至り、日本一古い正法眼蔵や各種の寺宝を残している。
本堂の前には大きな「杓子」「檑木」があるが、これは「我が身を摩り減らし、人を救うという佛心を象徴するものである。また出雲の一畑薬師(目の佛様)山口文院、四国の金毘羅様(道中安全)と我が身を切ってその人の身代わりとなられる見切地蔵様がある。」

瑠璃光寺

水掛け地蔵・見切り地蔵

慈母観音・後生車

本殿奥・五重塔

国宝瑠璃光寺五重塔

この塔は、嘉吉二年(一四四二)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。
高さは三十一・二メートルで桧皮萆独持の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁勾欄があるので安定感が強い。鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、この塔は、大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄建なものである。この塔は大内義弘の菩提をとむらうためその弟の盛見がこの地にあった香積寺は萩に移り、その後に瑠璃光寺が移ってきた。その後、「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれ、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並ぶ、日本三名塔のひとつもかぞえられている。

瑠璃光寺五重塔

今回102回日本陸上競技選手権大会(山口維新みらいふスタジアム)の途中で行ってきましたが一番いい撮影スポットの池の部分が工事されていて撮影できず残念でした。

 

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このページの投稿者:ヨシユキ

MIRANKA広報担当のヨシユキです。H24年4月にボランティアとして立ち上げて今年で11年目に入りました。 なかなか更新が出来ませんが自分なりに頑張って日南市をPRをしていきたいと思います

ヨシユキ

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