ゼロ戦

知覧特攻平和会館を訪ねて

知覧について(パンフレットから抜粋)
知覧は、国家全体が総力戦争に動員された第二次世界大戦週末の恐ろしい時代を目撃した場所です。知覧には本土最南端の特攻基地があり、特攻隊員の日常の世話を任された知覧高等女学校の生徒、特攻隊員やその関係者が利用した食堂・旅館を運営する女性らがいました。特攻隊員と地域住民との親交や交流が生まれる中、知覧の人々は多くの特攻隊員の出撃を見送りました。

総力戦争
国家が国のすべての力を動員して行う戦争のことです。大二次世界大戦中、日本では職業軍人だけでなく学生少年たちも兵隊として戦争に参加し、女性や子ども、高齢者も戦争を後方から支援する役割を担いました。国民、経済や化学技術、メディアなど国すべてが戦争に勝つためん駆り出されていました

知覧特攻平和会館は、大東亜戦争末期(戦争は太平洋戦争ともいう。)の沖縄線で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当りした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。

とこしえに
み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつりりしい姿を永久に伝えたい心をこめてああ、開聞の南に消えた勇士よ

三角兵舎

三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ偽装してありました。各地から集まった隊員は二~三日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。出撃の前夜は、この三角兵舎で壮後会が催され、酒をのみ汲みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征ったのです。ここに三角兵舎を復元し当時をしのぶよすがとするものであります

知覧特攻平和会館はカメラ撮影が禁止されていましたのでパンフレットを(見にくいですが)

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このページの投稿者:ヨシユキ

MIRANKA広報担当のヨシユキです。H24年4月にボランティアとして立ち上げて今年で12年目に入りました。 なかなか更新が出来ませんが自分なりに頑張っていきたいと思います

ヨシユキ

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