榎原神社(よわらじんじゃ)の概要

飫肥藩三代藩主祐久が鵜戸神宮から分祀して創建した。古くから縁結びの神様として親しまれている。また、朱塗りの本殿と鐘楼、楼門は県の有形文化財に指定されている。摂社桜井神社は神女内田萬寿姫を祀っている。

榎原神社楼門(2枚目写真)
榎原神社楼門は、神社境内と門前町との間に県立されています建立は文化13年(1816)銘の棟札があり、また天保年間(1830~1842年)再興の棟札も残されている宮崎県下で類例のない古い楼門です。構造形式は三問一戸八脚門といい、正面三問のうち両脇に仁王像を配しその上部棚に随神像を安置して中央の間に参詣者用通用門(一戸)とする楼門です

榎原神社鐘楼(3枚目写真)
昭和54年11日指定宮崎県指定有形文化財、榎原神社は江戸時代初期万治元年(1958年)第3代飫肥藩主伊藤裕久公が鵜戸神宮の神霊を観請し藩内の鎮守として創建したもので、榎原山第権現と称され歴代藩主の崇敬も厚く社禄神領の寄進を受けていた。当社は神殿を中心に鐘楼・楼門などが残されているが鐘楼は造形的にもこの神社建造仏物の中でも最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。鐘楼は高さ11.41mで上部の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。

榎原神社本殿
本社は、当時神女として崇められていた内田万寿姫の進言によって、飫肥三代藩主伊藤裕久公が万治元年(1658年)12月23日、鵜戸神宮より観請されたものである。(摂社桜井神社は内田万寿姫を祀る)
現在の社殿は、宝永四年(1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寬政十年(1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる拝殿を入母屋屋根として正面に千鳥風、その全面の向拝に唐破風を設けた拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は観現造りであう。しかし従来から関係者は屋根の複雑さから八ッ棟造りと呼びならわしている。県下には唯一の貴重な有形文化財である

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このページの投稿者:ヨシユキ

MIRANKA広報担当のヨシユキです。H24年4月にボランティアとして立ち上げて今年で12年目に入りました。 なかなか更新が出来ませんが自分なりに頑張っていきたいと思います

ヨシユキ

榎原神社(よわらじんじゃ)” への1件のコメント

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