水前寺公園

水前寺成趣園(水前寺公園)に行って来ました

2月19日福岡の帰りに熊本市中央区の水前寺公園に行って来ました。

園内のパンフレットに水前寺成趣園のことが書いてありました
寛永9年(1632)肥後細川家三代細川忠利公は初代熊本藩主となります。
その後、熊本城東南の地に豊前(大分県中津市)羅漢寺から熊本に来ていた住職・玄宅のために、一寺を設けて「水前寺」と号します。
また、同地に御茶屋を建て「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになります。
これが水前寺成趣園の始まりです。
二代藩主細川光尚公、三代藩主綱利公にわたり作庭が行われ、寛文11年(1671)に現在とほぼ同じ規模の庭園ができあがり、陶淵明の詩に由来する「成趣園」と名付けられます。
阿蘇の伏流水をたたえる回遊式庭園で、紹巴4年(1929)国の名勝・史跡に指定されています。
・・・陶淵明の詩(帰去来辞)の一文より

水前寺公園入口

園内

出水神社境内

明治10年(1877)、西南の役で熊本の街は焼け野が原となりました。旧熊本藩士たちは、藩主んぽ御霊を祀り、御恩徳によって人心を安定させ、熊本の街を発展させようとの思いから、明治11年(1878)肥後細川家に縁の深い水前寺成趣園お地に社殿を創建しました。肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ(二代忠興公の妻)、あわせて十五柱が祀られています。
水前寺成趣園は出水神社の所有・管理です。

境内の中には、夏目漱石の句碑や神水(長寿の水)そして光復の碑などほかにも記念碑がたくさんあります。

稲荷神社

京都の伏見稲荷神社のご文霊を祀る出水神社の末社。
食物の神様、産業の神様として崇敬を集めます。

古今伝授の間

「古今伝授」とは古今和歌集の解釈を中心に、関連分野のいろいろな学説を口伝・切紙などにより、師から弟子へ教授し伝えていくことです。師匠は重要なことは秘伝として優れた弟子にしか伝えませんでした。このようにして優秀な弟子を選んで伝えられたのが古今伝授であり、相伝された秘説は、中世歌壇において最も権威付けられた古今和歌集の解釈でした。

 

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このページの投稿者:ヨシユキ

MIRANKA広報担当のヨシユキです。H24年4月にボランティアとして立ち上げて今年で11年目に入りました。 なかなか更新が出来ませんが自分なりに頑張って日南市をPRをしていきたいと思います

ヨシユキ

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